6月・7月の古典戯曲を読む会では、アリストパネースの『蛙』(
内田次信訳『ギリシア喜劇全集3』岩波書店)を1098行まで読みました。ギリシア悲劇が取り上げられたことは今まで何度かありましたが、ギリシア喜劇を取り上げるのは今回が初めてです。6月の参加者は14人、7月の参加者は13人でした。
古代ギリシアの演劇の神ディオニューソスが、死んだばかりの悲劇詩人エウリーピデースを冥界から連れ戻そうとすることから起こるこの喜劇は、ギリシア喜劇に特徴的な政治批判や、文芸・演劇批評の要素を多く含む刺激的な作品です。エロティックな笑いや下世話な笑いも多く含まれ、現代でも滑稽なシーンは多くありますが、やはり神髄は、実名を挙げた痛烈な政治批判や、高度なテクニークを用いた先行作品のパロディや文芸批評にあると言えるでしょう。ギリシア劇やギリシア喜劇に触れるのが初めてという方もいたので、古代ギリシアの神々についてや、当時の政治について簡単にお話しながら進めていきました。
第一回目の6月はディオニューソスとその奴隷クサンティアースが冥界に下るまでの場面、第二回の7月は、エウリーピデースとアイスキュロス、二人の名悲劇詩人が互いを弁舌によって攻撃する場面まで読みました。悲劇詩人たちが互いに相手を批判する場面では、アリストパネースの巧みさが光っています。エウリーピデースがアイスキュロスを批判するときはアイスキュロスの作風(韻律や単語など)を真似て発言し、アイスキュロスがエウリーピデースを批判するときには、エウリーピデースの劇中の台詞をもじって発言します。こういった台詞の面白みは日本語訳ではなかなかすぐには伝わりにくく、もどかしく思いました。しかし、台詞の中で現れる合成動物(馬鶏だとか、山羊鹿などという架空の動物が出てきます)は日本でいうところの「ウナギイヌ」に似ている、という話が出たり、やり取りの滑稽さに笑いが起こったりなどと、今でも素直に笑うことが出来る場面も多くありました。
次回、最終回では、コロスの歌から始まって、いよいよどちらの詩人を地上に連れ戻すかという審判が下される場面を読みます。叙事詩のパロディが効果的に用いられている非常に面白いシーンが待っています。
次回の古典戯曲を読む会@東京は、9月1日(土)19時~、場所はいつもと同じ早稲田大学戸山キャンパス、文学部の教室です。
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